私の生い立ち、幼少~大人


【今日はわたしの生い立ちや環境や性格、気質、様々な体験を紹介致します】

統合失調症の私

かなり波乱万丈でした。

*参考になれば幸いです。

(幼少期~思春期まで)
をお話しします。長いです。
興味のない方はスルーして下さい。

(幼稚園)
人を笑わせることが大好きで、イタズラも大好きでおてんばな女の子。
ユニークで個性的で好奇心旺盛な子供でした。とても人気がありました。

例えば志村けんのモノマネやアニメなんかのキメ台詞をやったり。
変なマイルールの鬼ごっこやおままごと。
秘密基地を作り友達と一緒にタイムカプセル(ガチャガチャのカプセル)にお金を10円や1円とか入れます。それを
お宝といって秘密基地の土に穴を開けて埋めて遊ぶような男の子っぽい遊びが大好きでした。

☆周りの人から変わった子供と言われはじめます。
ひとつのことに夢中になりすぎて突っ走ることがある子供でした。
パズルが完成してしまったのにまたやる変わった子供
簡単なパズルにあきてしまい、自分の絵を描いて、しまいに自分で複雑にパズルを作り先生に『すごいね~』と言われてもいました。お絵かきや鬼ごっこやおままごとはあまり興味もなく1人で夢中になっている子供だったみたいです。

☆ワガママで頑固な子供
幼稚園のころでたまたま従姉妹から貰ったオルガンで、楽譜はないけどずっと手探りで色々な曲を弾けるまで、、、弾きまくり完コピしたのがあまりに嬉しくて、(聖子ちゃんの曲)母に寝なさいと言われてもヘッドフォンを付け部屋の中でこっそり練習してました。寝なさいと怒られても遊びたい。言う事を聞かない頑固なワガママな子供だったみたいです。

☆熱中すると暴走する子供になりはじめていたので、母は手を焼いていました。幼稚園のお友達で家が近い友達がいました。友達はピアノを習っていたのでいつも遊ぶときはピアノでした。友達は『トルコ行進曲』や『軍隊行進曲』や『エリーゼのために』など、かっこよく弾いていたのでした。
(子供版の初級者向けでドレミファソラシドの右手はメロディ左手はカンタンなコードです。もちろん大人が弾くような複雑な和音やテクニックはないです。)

更に自分で作曲して歌うお友達でした!

いつか、私もそうなりたい。
ずっとずっとお友達の家に遊びに行き教えてもらい練習して、やっと弾けるようになりました。

(小学校一年生)
小学校一年生の時は絵を描いてよくリボンという雑誌にハガキを出して沢山掲載されてました。リボンという雑誌のトキメキトゥナイトという漫画が大好きで、主人公の蘭世の絵を描くのが趣味でした。友達の似顔絵も面白おかしく描いてあげていたので、みんなに慕われていました。

漫画が上手くなりたいなーーと思い画用紙の上に沢山あらゆる漫画を描いていたのでした。
夢中で楽しくて、みんなに慕われて
嬉しくて周りが見えず暴走!
次第に食事や睡眠すら忘れて熱中していたので、母に寝なさいといつも怒られました。

雑誌に載って掲載されるのが普通に楽しかったし、お友達にも『今度あれ描いてよー』『これ描いて。』と言われるようになりました。お友達が喜んでくれてますます人気者でした。
しかし、だんだんお友達から難しいものまで描いて欲しいと言われたり、段々疲れてきました。
夜更かしはずっとずっと続いてました。朝、起きれないこともあり疲れの反動で1日眠いし、ヤル気もなくて、学校へ頑張って行きましたが、帰るとバタンキュー。
不節制して風邪を引いたり、休みがちになりました。
反動で無気力、軽~く2日間はボーッとしてたので成績はものすごく悪かったです。
授業中に眠くて仮病を使い保健室へ行く子供でした。
(怠け癖は先生にもバレていましたが、なぜか?ゆっくり休んできてと言われていました)

難しい少年漫画を描いてとか、何から何まで、
お友達の描いて欲しいと頼まれる事が増えて、面倒くさいなぁと思う様になりました。
次第に漫画を描いて遊ばなくなります。
友達のお願いは『今度ね→いつかね→気が向いたらね』みたいに上手く断りそれをきっかけに疎遠になったり。
自分から離れていったりする感じです。
次第に絵を描いて上手いねと言われないように下手くそに描くようにしました。
友達をやがて避けてしまいました。
なんとなく、1人になりたくなっていました。

(いじめ)
私が漫画を描かせられるからと、避けたせいなのか。保健室に行って怠け者なのに、先生は仮病でもあまやかしてエコひいきしているからなのか。
そのことで、女子からも男子からも無視をされました。

一番ひどく傷ついたのは靴箱の中にゴミが
入っていたり。

机に落書きやピアニカを盗まれて、ドブで発見されました。

悔しくて泣きました。

そうだ。みんなにすごい!と言われればきっとまた仲良くしてくれるかなぁ

何とかしてみんなを見返してやりたい!
単純にそう思いました。
私は本気で考えました。
(例)
○男子より足が速くなりたいとか。
○跳び箱6段のバク転宙返りをしてみたいとか。
○三重跳び交差の後ろ跳びで10分っていうの出来るかな~~とか。
○勉強で一番になったらみんなどんな顔するんだろ。とか。
○クラスで一番とにかく何かすごいと見返して、目立ちたい

本気で考えました。

(小学校三年生)
なぜ、私がターゲットにされたか?分からない。けど、やるしかない。
相当悔しかったんで。
頑張りました。

学校から帰る時はいつもダッシュしてタイムを測りました。
昼休みは、跳び箱とマットを敷いて台上前転を練習し出来るようになります。→女子からますます変な奴と思われていたかも知れません。
更に 仰向け跳び→首はね跳び→頭はね跳びをマスターします。

体育館でざわつき始じめ女子より男子の方に人気者になっていきます。

次第に男子と50m走をして遊んだり
男子と缶蹴りや、男子に目立ちはじめまた。

なぜか?男子より足も速くなりました。男子と遊んでるときの方が楽しくなって来ました。

次第に男子が私にかけっこを挑んできました。
みんなに、また慕われ
一目置かれるようになりました。

もちろん女子はまた別の意味で近づいて来て『あの時はごめんね。』とか言って来ました。すごく悔しかったけど、嬉しかったです。

(小学三年生)
私の思考回路には
すごい人になればなんとかなるんだな、
と、考える様になってました。
(例)
勉強でクラスで一番になりたいなーって。
でも無理でしたけどね。

(父の存在)
私の家族は母が叱る役。
父がなだめる役でした。

父が叱る、怒鳴るとかは無くて私はお父さんっ子でした。
キャッチボールをしたり、サッカーを教えてくれたりしてくれたので母より父が大好きでした。
父は私にも母にもとっても優しくて、休みの日には家族でピクニックをしたり、沢山遊んでくれたり、、、母も私も妹も大好きでした。

そんなある日、
花火を妹に振り回して火傷をさせてしまった時が、ありました。

妹は泣きながら母に、告げ口しワンワン泣いてました。

いつも穏やかな父なのに、大きな声で『あやまれ!』と怒鳴られ殴られ小屋に半日閉じ込められました。泣きながら謝りました。『ごめんなさい』
父が段々妹を可愛がりました。

妹にヤキモチをやいて寂しくなりました。
まる1日家出をしました。
小さな地域の集会所が空いていて、そこにはトイレや水道や座布団や毛布まであったので、、、。
その時、そこに置いてあった一枚のメモ用紙に『お父さん大嫌いお母さんはバカアホ死ね』と書きました。
絶対『ごめんなさい』は言わないって思いながらも、泣きました。
お腹が空いて仕方なく、帰ってみたら母が『お父さんにあやまりなさい』と言われました。母は、温厚な父を怒らせた私にますます腹を立てて母も父もあやまれ!っていつまでも言われました。

私は、絶対に謝らないって決めたので
アレ以来、悪いことをしても私は謝らない子供になりました。

(父の死)
日曜日家族でピクニックにいきました。
その夜突然ものすごいイビキをして母が起こそうとしたら、口から泡を吹いていました。母は父を起こそうと必死に話しかけていました。私は寝ぼけてボーッと見ていました。

(母の号泣)
え、大人も泣くんだ、、、そう思って驚いていたのを覚えています。母は電話で泣きながら119番に電話をかけていたのを今でも鮮明に覚えています。
父は救急車に運ばれ
私と妹はお留守番。
私と妹は『病院に行くと治るから大丈夫だね、、』と妹と話していました。
しかし待っても待っても帰って来ません。
一夜明けて病院に従姉妹のおばあちゃん達と、みんなで病院に連れて行かれました。

そこで目にしたのは変わり果てた父の姿。私以外の身内の鳴き声が。
母や妹は大声で泣き叫びました。

(泣かない子)
え、昨日は元気だったでしょう?

目を開けてくれると信じていた私は、信じていませんでした。
父の顔を引っ叩いていました。
こちょこちょしたり。
周りの身内にやめなさいと言われて家に帰って来ました。

(親戚達の私への対応)
もう明日はお通夜でとか、火葬とか?子供の私は現実を受け入れる事が出来ず、嘘だ。まだ寝てるだけで明日また起きると本気で信じていたので何故泣いているのか理解が出来ず、泣き叫ぶ母や妹にむしろビックリしたのでした。
親戚、従姉妹に、言われた一言
『悲しくないの?』

私のせいだ。きっとあの時メモ用紙に『バカアホ死ね!』って書いたからだ
『ごめんなさい』しなかったからだ。
子供ながらに自分のせいだと思いこんでいました。

(火葬)
当時小学四年生。おまじないとかが流行。なんか私が書いたからだと思い込み改めて書き直そうと、、、
またメモ用紙に『ごめんなさい』
『お父さん大好きだよ。だからキャッチボールしたいです。』と書きました。
メモ用紙に書けば本当にそういうことが起きると信じて。
火葬の前に願い事が叶うと純粋に信じていました。
生きてるかもしれないから、焼かないでって心で叫びました。嫌だ。熱い所に入るなんてかわいそうと、初めて泣きました。お父さんが骨になって出て来ました。
私は胸の中があつくなりました。
泣きたいけど泣けない。

(夜が怖い)
お化けの夢を見たり、カーテンがいきなり開いたような気がしたり、夜が怖いと思う子供でした。夜、トイレにひとりで行けない弱虫でした。
寝れなくなると、枕を持って母と父の寝室に行き、真ん中に寝ました。

(宝物)
寝る時は豚のぬいぐるみをずっと抱いて寝る習慣がありました。私が赤ちゃんの頃からずっと大好きだったぬいぐるみで、お腹を押すと、ブヒブヒ鳴る可愛いぬいぐるみです。
今でも、まだ捨てる事ができません。

(転校生活でまたまた人気者)
父の死のあと、母は姉の家の近くに引っ越し私は小学四年生の冬休み明けに転校しました。
また、いじめにあったらどうしよう。
不安で不安で仕方なかったのですが、いじめられる事がなくて、みんな気さくに話しかけて来てくれて嬉しかったのを覚えています。
普通に楽しい友達がいっぱいできて学校が大好きになりました。

昼休みの時間は男の子ともサッカーをやるとか、バスケット部に入部してスタメンになりました。とにかく足が速かったのと、顧問の先生が面白くて学校がとっても大好きでした。

(新しい生活)
母は免許がなく、働きながらとりました。初めて仕事をし始めたのですごく大変そうでした。私が帰る時間に、ご飯がないので、カップ麺や、お菓子や、やきそばやカレーライスのような簡単な料理を作って食べたり、友達のウチで食べてました。
明らかに野菜不足でした。


(小学5~6年生)
絵を描いては、すごいねって言われ、
教室のオルガンを弾けばまた沢山みんなが寄ってきて、
面白いことを言って笑わせれば人気者になり、
サッカーやバスケットボールもとりあえず秀でていたので、
男子も女子もみんな仲良くしてくれました。当時、一番のモテ期でした。

(中学時代)
またいじめです。
バスケットボール部に入部。柔道部の
先輩たちに気に要らないと、呼び出されて前髪をバッサリ切られました。そして水をかけられたりしました。体育館に行くのがトラウマになりました。更に仲良しだった小学校のバスケ部の女子になぜか嫌われました。多分スタメンにはさせたくない、多少ですがその子が好きだった男子が私を好きだとか?噂になった為
嫉妬だと思います。
バスケットボール部を辞めて美術部に入部します。

美術部に入部して仲良しグループが出来ました。
ところがみんな転校してバラバラに。

三年生の春、、また集団で無視。話しかけても、答えない。
私が歩くと女子集団がヒソヒソ話す。
もうこんなに女子に意地悪されると、慣れるものです。

私は、先生に毎日渡す生活日記に、いじめられている内容や、意地悪する人達の実名をみーんな暴露して書いてやりました。

次の日いじめた人全員はみんな先生に注意されたみたいで
ひとりだけ後から、『ごめんね、、これから仲良くしようね』と言ってきたのはいまでも忘れません

それ以来、、、
いじめはなくなりました。

唯一、副室長の女子が
私を支えてくれていたので少しは強かったんだと思います。

彼女は私の親友でA子です。

(高校時代)
多感な、時期でした。
A子が入る学校に一緒に行きたくてA子と同じ学校に行きました。

女子高でしたが、やはり集団で話すことが苦手でした。とりあえず目立たない高校生。

街に近い学校で、お洒落なお店に惹かれていき、勉強なんかよりカラオケや街中でプラプラしたり。
みんなとても良い仲間に恵まれて楽しかったです

(進学)
進学校だったので、殆どの人が大学を受験しました。

ホントは、大学進学よりお洒落なお店の店員さんになりたいって思っていました。

ところが何が何でも進学を勧められました。

進学は仕方なく地元の短大なら実家から通うことができると思い、受験して合格しなんとなく通うことにしました。

(中退)
地元の短大の授業はいつも、みんなお喋りをしていました。
男女でいちゃいちゃ…なんて人もいたり、
とにかく教授の講義の声はマイクですが聞こえませんでした。
とても自由な学校。、
英語も高校のときの英語?
資格は自由に取りたい方だけ取ってください。
見たいな感じでした

秘書検定や経理などの教科は少し役に立つことがありましたが。
入学金だけでも高いのに、、、
授業料も高くてパソコン代もと教材も、とっても高くて
奨学金でしたが私は母がおばあちゃんの介護をしながら仕事をしていた為に、
やりくりが大変みたいで、母の遺族年金だけでは足りなくて、私もバイトをし始めました。
なんとなくでしたが、
バイトしてた方が大学より学ぶことが多いと感じました。

やはり働きたいと思い始めてきました。
短大のサークルも、出会いを求めている集まりの人達が多くて、
殆ど飲み会。

やっぱり街で見た憧れのお洒落なお店のカッコイイ店員さんになりたいと決め、密かにバイトしながら就活してました。

最初に受けた大手海外のブランドは落ちましたが。

母に内緒で中退をして就活しました。


(就職)
憧れていた職場に受かり、順風満帆に働き、またまたいっぱい頑張りました。

職場はサービス接客、事務、在庫管理、営業です。毎日売り上げ成績を発表されました。

売上げがそれなりに定着してきて顧客もつきいたについてきて
仕事も出来る様になると、それなりに出世出来るので、大変でしたが厳しくても仕事も楽しくなりました。

厳しかったけどそこで知り合った先輩や後輩、他の店舗の友達。
とっても楽しい仲間といっぱい恵まれた時期でした。
いつか前に受けて落ちた大手海外ブランドさんから
ヘッドハンティングされたときは最高に嬉しかったです

そのうちに、お金をためてファッション、アパレル、服飾関係の勉強がしたい
そう思うようになっていました。

私はほんの少しの間東京の友達の家にお世話になりました
夢は専門学校に入る→自分の店を持つこと
でした。
私は池袋にてアルバイト、その後横浜へ、、、

【結婚】
当時、遠距離ですが真面目にお付き合いをしていたひとがいました
まだ私は結婚することなど考えていませんでしたが
とある事情でプロポーズの手紙。
結婚を決意して素敵な奥さんを夢見て帰省しました

結婚式.・・・今思うとすごく盛大でした。
式はまるで幻だったかのようにも思えますね、

以上

■未だに統合失調症の原因はわかっていませんが、性格や、気質や、環境も要因の一つと言われています。

いろいろな体験や気質が要因の一つでもあり得ること

ストレスやショックな体験も病気になりやすい一つであったのかもしれません。

*一応参考にまで、、、



長い文章にお付き合いいただき

ありがとうございました!


















プロフィール

ちー☆

Author:ちー☆
統合失調症を患いながらも前向きに頑張る日常をマイペースに綴ります。


FC2ブログランキングと人気ブログランキングの2つに参加してます!良かったらポチッポチッとよろしくお願いします。
↓↓↓↓



アクセスカウンター
カレンダー
05 | 2018/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
天気予報
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
QRコード
QR
クリックで救える命がある
クリックで救える命がある。